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夜明けが訪れる。 黒い空を瑠璃色から紫、赤、オレンジと鮮やかに染めて何も無い水平線から太陽が昇ってくる。 それは船乗り達のみに許された自然が作り出す芸術だ。 そして、それは世界を超えても変わらない。 海の上で見られる光景だ。 「艦長、コーヒーです」 「うん、ありがとう」 副長が入れたコーヒーを『むらさめ』級汎用護衛艦『ありあけ』の艦長が受け取り、ズズっとすすった。 「朝焼けはこの世界でも変わりませんね」 「ああ、ちょっと無粋なものも混じっているがね」 そう言って太陽が昇ってくる方角とは逆の方角を見る。 そこにはいかにも即席らしい輸送船の姿が多数あった。 不恰好な鉄の箱を連ねて、それに水の抵抗を減らす最低限の鋼鈑のみが張られている。 一見すれば巨人が作った玩具の船とも見える。 これが船腹不足を埋める為に建造された緊急増産船型であった。 小は500tから大は40000tまで2種類の大きさのモジュールを組み合わされて作られた輸送船たちだ。 そのうち比較的大型で大陸間航行が可能な船が船団を組んで航行している。 そして『ありあけ』は僚艦2隻と共に船団の護衛に着いていた。 しかしながら、この世界に輸送船団の脅威となる敵性潜水艦は存在しない。 にもかかわらず護衛艦がエスコートしているのはある意味では潜水艦よりも厄介な相手がこの世界に存在するからだ。 『ソナー室より艦橋。ソナーが水中音源を捕捉。目標と思われます』 早速潜水艦よりも厄介な相手が現れたようだ。 「副長、ここを頼む」 CICに入った艦長は早速ソナー室と連絡を取る。 「水測長、確認は取れたか?」 『はい。音紋パターンはデータと一致します。ウォータードラゴンに間違いありません』 ウォータードラゴン、それは水中に生息するドラゴンの一種であった。それが何度も襲ってくるのだ。 その理由については偉い海洋学者曰く、『大規模な船団はそれなりの雑音を水中に撒き散らすわけで、それを聞いて自分の縄張りを荒らしていると勘違いして襲ってくるのでしょう』ということらしい。 しかも厄介なことに潜水艦は交戦していなければ何も攻撃してこないし、仮に交戦状態に入っても基地や造船所を潰せばおのずと行動は限られてくるのに対し、ウォータードラゴンはいつ何時でも攻撃してくるし野生なのでどれだけ退治しても全然減ってこないのだ。 『目標、以前接近中。速度16ノット、深度80、本艦との距離20000を切ります』 「よし、ピンガーを打ちまくれ!」 『了解!』 元の世界のイルカやクジラなどの海洋哺乳類は軍艦の発振する超音波を極度に嫌がる性質があった。それならば同じぐらいのスケールであるウォータードラゴンにも効果があると考えるのが普通である。実際何度かはピンガーの音に参ったらしく、引き上げた事例も報告されている。それに何よりピンガーはタダなのだ。 『目標針路そのまま。距離16000』 しかし、どうやら今回も参ってくれないようだ。 「交戦規定クリアー。目標を攻撃する。対潜戦闘用意!」 「前甲板VLS1セル、2セルアスロックデータ入力開始!砲撃警報を鳴らせ!」 「全水密区画閉鎖完了!前甲板退避完了!」 「発射!」 前甲板のVLSのハッチが開き、射程とペイロードを改善した垂直発射型アスロック2基が噴煙を引いて飛翔を開始する。目標地点でロケットモーターを投棄し、97式魚雷をパラシュート投下、着水した97式魚雷は即座に目標を捉え、60ノットの高速で突っ込んでいく。 『目標に大きな爆発音2!アスロック命中しました!』 『艦橋よりCIC、左舷前方15000に水柱を確認!』 2部署からアスロック命中を示す報告がCICに入る。それを受けてほっとした空気が流れたがソナー室からの緊急報告で再び空気が張り詰めた。 『待ってください!音源を再捕捉!敵性目標はまだ沈黙していません!・・・目標遠ざかります!距離18000。離脱する模様』 「なんて奴だ・・・97式魚雷2発もくらってまだ沈黙しないとは・・・」 97式魚雷はソ連の巨大戦略原潜、タイフーン級に対抗する為に作られた魚雷である。弾頭も潜水艦の分厚い耐圧殻を破壊する為に大威力になっている。 そんな魚雷を2発もくらっていながらまだ死なないのだ。 「・・・」 ドラゴンという種の生命力を改めて見せ付けられた。もし多数で組織的な攻撃を行われたら対処は難しいだろう。 CICの全員の胸の中に小さな不安のかけらが落ちていた。 その後、主要航路に対ウォータードラゴン用発振ブイと本土防衛音響捜索システムが稼動するまでに護衛艦3隻の中破を筆頭に、輸送船18隻、漁船34隻に被害が発生した。 この世界では人間だけではなく手強い自然とも戦わなければならないことの証左だった。 メニューへ
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「敢えてコイツに名前をつけるとしたら『Naglfal/死人ノ爪の船』と名づけるね。 時代遅れで、ポンコツだが、浪漫が詰まっている。 俺から言わせれば、芸術さ」 ―――製作者は語る。 この船を見た者の反応等決まっている。 失笑、爆笑、苦笑。 そんな所だ。 理由は決まっている。この科学と魔法が闊歩する時代に、木できた船体、2本のマスト。 それでいて、一隻当たりは全長は十数メートルから30メートル。 その船が、真横に3隻固定されている。 既に笑うしか無い代物ではある――――――しかしながら。 実用性、と言う話になると全く別問題である。 そもそも船、特に帆船は非常に理に叶った乗り物だ。 今回製造されるケッチ、と呼ばれる帆船は、メインマストとその後方に少し低いミズンマストを持ち、その両方に縦帆を持つ。 また、バランスが良く小さいために操作も簡単なメインセイルを持つため、長距離の帆装も可能。 また、風上に向かえるだけでなく、舵を使用せずミズンセイルとジブだけでの操船も可能である。 要するに、魔法の力も科学の力も借りず、自然の力のみで航行が可能、と言う事だ。 また、このサイズでも小型で、I=D400人機、歩兵400人搭載が可能である。 当然ながら1隻に乗り切る筈も無く、3隻に渡って積み込む訳である。 また、通常これは船団として機能させるモノだ。 しかし、船同士を固定している“渡し”切り離す事により、小回りの効く小型船としても機能する。 上陸に際しては本来ならヘリコプターを使うわけだが、動けないので別の手段を使う。(当然ヘリコプターの搭載場所は完備されている) 主にボートでの上陸なのがそれに当たる。 同時に上陸援護船として、本来ヘリコプターが搭載される場所に陸軍の砲を10門取り付けた、重武装艦が存在する。 此方の船は船体こそ同じだが揚陸作戦をサポートする事が目的である。 当然ながら、これ等は船体が同じであるため、互換性が効くと言う事も大きなメリットである。 尚、これ等の船体は、通常時―――つまり戦時下で無い時は貨物船として使用されており、 最大で10万tの物資を緊急輸送する事が可能である。 「笑いたければ笑うが良いさ。 だが俺はコイツと、コイツを作った事に誇りを持っている。 人が産まれた原初の海と、その海を渡るために生み出された原初の船。 俺の仕事は、誇り高き仕事だ」
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こちらは士官用テンプレ。過去スレの内容をまとめたものです。 <攻撃前日の敵情判断> Q.6月4日に輸送船団が攻撃を受けながら、なお奇襲が成立すると見込んでいた南雲司令部 の判断は甘かったのではないか。 A.攻撃前日の経過は以下の通り。 6月4日0040 第二機動部隊、ダッチハーバー空襲 0520 第十六掃海隊、敵飛行艇と交戦 0615 輸送船団、敵飛行艇に発見される 1215 特務艦宗谷、敵味方不明の中型陸上機1機を発見 1330 B-17、輸送船団を攻撃 1510 赤城敵信班、敵哨戒らしき電波を傍受? 1532 日没 1630 第一機動部隊、敵飛行艇の触接を受ける 2350 第一機動部隊、敵飛行艇の触接を受ける 2354 PBY、輸送船団を攻撃 6月5日0130 第一次攻撃隊、索敵機、対潜哨戒機発進http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/259 この中で以下の3点に注目する。 (A)第二機動部隊による、ダッチハーバー空襲(0040時) (B)攻略船団の被発見(0615時)と被攻撃(1330・2354時) 日米双方に記載があるのは、リード少尉機(PBY)による輸送船団発見。 「次いで船団部隊は、0615頃敵飛行艇に発見され、計5機による約1時間にわたる 執拗な触接を受けた」 この情報をもとに、船団は二度にわたる攻撃を受けた。 1330 B-17 9機(被害なし) 2354 PBY 4機(油槽船あけぼの丸に魚雷一本命中するも、航行に支障なし)http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/258 (C)南雲機動部隊が、敵哨戒艇による触接を受ける(1630・2354時) ①敵信傍受(『炎の海』牧島貞一/著) こうなれば早く日が暮れたほうがよい。 「これで夕方まで敵に見つからなければしめたものだ」。千早大尉が言った。 あと20分もすれば日没というころ、タカタッター(対空戦闘ラッパ) 「総員配置につけ、対空戦闘!」 外に飛び出すと、甲板では兵隊がワイワイ騒いでいた。 「どこだ、どこだ」「あの雲の間から飛行機が見えた」「いや、あれは鳥だったよ」 白根大尉率いる戦闘機3機がすぐ飛び出して行った。 30分以上も待った。もう真っ暗になった頃、戦闘機は帰ってきた。 「はるかに敵機を見つけて追いかけましたが、雲に逃げ込んで見失いました」 「たしかに敵機か」。艦長は問いただした。 「敵機に間違いありません」。 しばらくすると、千早大尉が「おい、敵は今さかんに緊急無電を打っているぞ」 「なんと打っていますか」 「わかるものか、暗号だもの」 彼は今まで無電室に入って、これを聞いていたのだ。 「とうとう見つかってしまったか。昼間こっちが無電を打ったのがまずかったんだ」 私は、はるか西南方を進んでくる足の遅い輸送船団はどうしているかと心配だった ので、山田大尉に聞いてみた。 「輸送船団はもう敵に見つかってしまったよ。B17が爆撃に来たそうだ」 「被害は?」 「一発も命中しなかったそうだ」http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1268653116/230-231 ②1630時(『戦史叢書(43)ミッドウェー海戦』) 『一航艦戦闘詳報』によれば、南雲機動部隊は6月4日に2度触接を受けている。 1630「敵飛行機発見、利根発砲」 1631「赤城戦闘機3機発進」 1640「敵飛行機260度方向ニ見失フ、約10機」(利根発、機動部隊指揮官宛) 1654「赤城戦闘機収容」 日没は1543時( 6)なので、薄暮の時間帯に相当する。 「24節の高速で南東方に突進中、1630(薄暮)利根は敵機約10機の発見を報じた。 赤城は甲板待機中の艦戦3機をもってこれを追跡させたが、敵機は260度方向に 見えなくなり、これを捕捉できず、1654艦戦を収容した」 (『戦史叢書』) 結局、南雲長官はこれを「誤認」と判断しています。 見張が不自由な時間帯だったのが、その理由を思われます。 ミッドウェー島の日施哨戒は、0100出発→1600帰着が標準なので、 誤認であったことは、ほぼ間違いないでしょう。http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/251-252 ③2350時(『ミッドウェー』淵田・奥宮/共著) 続いては、 2350「敵飛行機ラシキモノ二回発見、間モナク見失フ」 当然夜間なので、飛行機ではなく、その灯火を発見したという意味です。 前掲『ミッドウェー』には詳細に記されているので、長くなりますが引用しておきます。 午後11時30分、赤城の対空見張員は報じた。 「敵触接機の灯りらしきもの、右90度方向・高角70度・雲の上近寄ります」 艦橋には、南雲長官・草鹿参謀長・各幕僚が姿を現していた。 皆の目は一斉に空を見上げている。だが見えない。 出撃以来、艦橋を離れたことのない青木艦長は直ちに「配置に就け」を下令した。 乗員はまたたく間に警戒配置に就いた。全員の目は光っている。だが見えない。 空には断雲が覆っている。切れ目から星がまたたいていた。艦は動揺している。 そのため星が動いているように映る。しばらくして艦長は見張所に問い返した。 「対空見張、先の触接機の灯りらしきものは、まだ見えるか」 「今のところ見失っております」 「星と間違ったのではないか。艦がかぶっているから星が動いて見えるのだ。 よく気をつけて見張れ」 「ハーイ」 しばらく様子を見ていたが異常はなかった。 「対空警戒を引かせましょうか」 哨戒長が艦長に諮っていた時、また見張から報告が入った。 「さっきと同じところにまた灯りが流れて消えました。流星にしては怪しい光芒です」 そこで今度は司令部から全艦隊に対空警戒が下令された。 そして確認に努めたが、その後異変はなかった。(引用終わり) 公刊戦史によれば、「南雲長官は測風気球の灯を誤認したものと断定した」。 その根拠は「このような誤認は、ハワイ奇襲作戦の際も攻撃隊発艦位置へ向け 突進中に経験していた」となっています。 いずれも、発見時の状況から鑑みて誤認の可能性が高いでしょう。 しかし「兆候」や「状況証拠」としてなら、十分な根拠に成り得ると思います。http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/254 http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/256-257 <以上から、南雲長官が下した敵情判断が以下の通り。> これらに基づいて、6月5日0000時(第一次攻撃隊発進の1時間半前)における 南雲長官が下した情勢判断は以下の通り。 (1)敵艦隊は、我がミッドウェー攻略作戦が始まれば出動して反撃してくる算がある。 (2)敵の飛行索敵は西方・南方を主とし、北西方・北方は厳重でないと認める。 (3)敵の哨戒圏は約500浬と推定する。 (4)敵は我が企図を察知せず。少なくとも機動部隊は敵に発見されていないと認める。 (5)敵機動部隊が付近海面に行動中と推定する資料はない。 (6)我はまず、ミッドウェーを空襲し、敵の基地航空兵力を壊滅して上陸作戦に協力した後、 敵機動部隊に対処し、これを撃滅することが可能である。 (7)敵基地航空兵力の反撃は、我が上空直衛戦闘機と対空砲火によって、撃退することが出来る。http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/260 <(A)~(C)を受けて米空母が出撃したとしても、ミッドウェー島空襲中に出現する恐れは少ない。> 「まずダッチハーバー空襲の急報に驚いて、米艦隊が出撃したとしても、北方に向かう ので、南雲艦隊とは直接関係ない。 次に0615時のリード少尉機電により米空母が出撃しても、約1日後(6月5日0330頃) にミッドウェー空襲が始まるので、それまでに出現するとも思えない。 せいぜい「中間海面をミッドウェーに向けて急行中」といったところか。 しかし、それでも米機動部隊が付近に所在しないとは断言できない。 この世の中に”絶対”ということはないですからね。例えば、ハワイへ帰投中の米艦隊が 偶然ミッドウェー近海に居合わせて、緊急電を聞き駆けつけて来るということも考えられる。 そうなると、ミッドウェー空襲中に米空母出現という事態は十分可能性のある話です。 その万が一の事態に対する保険として、「七線一段索敵」と「雷装待機」です。 ここまで米空母に対する備えをしていた南雲長官に対して、「作戦目的を理解していない」 という非難は当たらないのでは?」http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/274 <6月5日0130時に友永隊を発進させても、基地が空の公算大である。> 「問題はやはり、輸送船団被攻撃に対する対応でしょう。 仮に南雲機動部隊が発見されていなくても、攻略部隊が発見されたことは確実なのだから、 当然ミッドウェー基地航空隊は翌朝(6月5日黎明時)から出撃し、船団を攻撃することは必至。 となると、0130時に攻撃隊を発進させるという当初の計画では、「空っぽの基地」を叩くことに なる(日出は0152時。 6) 53の通り、攻撃の主目標は「敵飛行機」だったはず。 これでは、最初から「第二次攻撃ノ要アリ」確定ではないか! 「さらに4日船団部隊が敵機に発見攻撃された報を受けたが、南雲長官は情勢を安易に 判断していたためか、攻撃要領を改めなかった。 この要領によると、ミッドウェーの攻撃時刻は日の出後約1時間半(0330頃)となる。 従って同島攻撃時、敵の攻撃兵力は我が船団攻撃に発進後のことで、同長官が企図して いた”奇襲により敵機を捕捉撃滅する”ことは、出来なくなる虞れが大きいのである」(『戦史叢書』) 明らかにこれは、南雲長官の油断であり失策と言わざるを得ない。 」http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/275 <故に、奇襲成功の見込み大と判断していた南雲長官の判断は甘かったと評価できる。 しかし発進時間の変更や攻撃隊の編制変更は、現実的に困難である。> 「では、どうすべきだったかと言うと、これまた難しいんですよねぇ。 考えられるのは、 (甲)第一次攻撃隊の発進時刻を早めて、黎明時(ミッドウェー基地隊の発進前)に叩く (乙)第一次攻撃隊の編成を艦攻全力にして、目標を「敵飛行機」から「滑走路破壊」に変更する。 まず、(甲)について。 計画では0130時発進のため、それに合わせて6月4日2345時に「搭乗員起し」、 また機体の整備等が行われている。 仮に1330時の船団被攻撃の報を受けて、計画変更を司令部で検討し、発進時刻を 2時間早めることに決定したとして、準備が間に合うのでしょうか。 混乱が予想されます。 (乙)については、米空母に備えての「雷装待機」(しかもGFからの厳命)を変更するのは、 よほどの決心が必要ですね。GF司令部に対する言い訳を考えとかないと・・・ 」http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/276 「当日・同海域の日の出は、0152です。 史実の第一次攻撃隊の発進の0130前後がまさに黎明時でミ島到着が0315前後、 それを0130にミ島到達に変更するというのは、1時間半以上早い発進させることに。 これは準備の問題もさることながら、攻撃隊に夜間発進・夜間侵攻を強いることになりますから、 攻撃隊の規模を考えると、実施はかなり困難ではないでしょうか? また発進時間の前倒しは、進出距離の増大を意味します。 史実で攻撃隊の発進はミ島から250浬、黎明時攻撃を実施するためには2時間は早く発進させるとすると、 ミ島から300浬弱の位置から発進することになり、攻撃隊の航続距離的にかなり厳しいことになります。 進出距離だけなら機動部隊の侵攻速度を上げることで対応は可能ですが、 今度は母艦側の燃料消費の増大を意味し、後の航空戦を考えるとこれまた悪影響がでかねません。 以上を以て、(甲)案は実現困難と考えます。 (乙)案も、実現性は(甲)案よりも勝るものの、雷装待機の問題に加え、 MI作戦で想定された占領後の速やかなる航空隊進出を考えると、 機動部隊単独でそれを覆すような攻撃を実施するのは、些か問題ありではないでしょうか?」http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/306 <有効な対案が無い以上、南雲長官の作戦指導もやむを得なかったのではなかろうか。> 最後に、淵田評で締めくくっておきましょう。 「この状況判断( 260)はどうであろうか。 後日の批判はともかく、当時実際に敵情はその片鱗さえも得ていない。 しかし戦闘において、敵情不明はありがちのことであってみれば、当面の敵情が 分からないと言っても仕方のないことである。 しかしそうなれば尚更、起こり得るかもしれないあらゆる事態に対応する万全の 構えがなければならないのであるが、わが戦力にかけた自信は強かった。 むしろ強すぎた。 それは思い上がっているのではなかったか。 否、南雲中将の信頼は必ずしも自惚れではなかった。 まことに駒は見事に動くのであった。 しかし条件がつく-使い方さえ誤らなければ-」 自信と見るか、慢心と見るか、評価者の見方によって変わるものであり、 断定すべきものではないのかもしれません。 この「あらゆる事態に対応する万全の構え」に関して、 「米空母出現に対する備え」については問題なし。 「企図漏洩に対する備え」については問題あり。 これが現段階での本職の見解です。http //anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1263203379/279-280
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徽章 ■■■ 概略 :Webley-Launcher-Industry(WLI)はエリアEUの旧グレート・ブリテン島に本社をおく軍需企業。重火器やその自走装置、航空機などを主に生産し、また輸送機体の貸し出しなども行っている。 WL製防術機について :主力生産しているD-A-F-Sやスピードローダーシリーズなどの防術機については、アルミニウム合金製のフレームに炭素複合装甲などを纏わせて装甲性を保つ構造をしている。動力はバッテリーまたはガスタービンエンジンによる駆動方式を採用し、地上・空中での推進には《AGモーター》と呼ばれる重力制御装置を利用する。これはFEL社の《停滞システム》と違い低燃費と軽量さを両立させている反面急激な軌道変更などに向かない性質をもち、推力方向へ対向する力に対してジャイロスコープのような特徴をもつ応答をする。武装は実弾兵器をメインに、近接戦闘用のものとして熱周波兵器(HGFEWS/高周波による熱的なエネルギー兵装システム/Heat-Generated-by-the-high-Frequency-"En"Weapons-System)を採用している。これは”高周波によって発生する熱的なエネルギー”を利用して敵機の装甲を伝播させることでその装甲性能を無視し内部のパイロットまたは電子的な部品を直接破壊するもの。また弊社で開発された熱周波システムの一部はFEL社の防術機にも採用されている。 WL製非防術兵器について :WL社は主力産業として「高高度輸送船団」に利用される空中輸送艦やその護衛戦艦、護衛戦闘機などの非防術兵器を開発し生産、販売している。例として輸送船団を構成する主力空中艦艇であるL型高速戦艦やバリアント級超重輸送艦などを挙げることができ、またそれらを護衛する多目的超音速可変戦闘機フレーバーファイターシリーズも弊社の主要な生産機体である。これらは動力にジェットエンジンとAGモーターを搭載し、破格の積載量を誇る反面高高度に長時間滞空する特性上必要以上の武装を搭載することを禁じられているため、しばしば武装が貧弱であると評される。 社体制について :本社は5000人程度の社員で構成され、社内でひとつの安全圏として独立している。本社敷地は40㎞四方。ちなみに地上施設はその一部に過ぎず、その本体は人工的に建造された全十二層の階層都市である。(ちなみにこれはFEL社のものと違いブリテン島に元からあったシェルターを基礎にして、NW後にその大部分を増設されたものである)社員はどこぞやどこぞの企業と違って(体の一部を機械化している者は少なくないにしても)しっかり人間である(男女比も平均そのもの)。
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397 :第三帝国:2014/07/11(金) 21 25 50 戦後夢幻会ネタSS~「死闘のソロモン~第2次ソロモン海戦」 第2次ソロモン海戦は日本側の圧勝に終わった。 三川提督は凱旋将軍として迎えられることになった。 そしてこれを契機にミッドウェー海戦以後、 或いはそれ以前から細々と存在していた夢幻会の権力掌握が進むことになる。 夢幻会としては悪夢の消耗戦であるガダルカナルの戦いを知るためマリアナまで防衛戦を下げててしまいた所であったが、 大本営、そして連合艦隊主流派はガ島の早期奪還の方針に変化はなかった。 海軍と仲の悪い陸軍もアメリカ軍を追い出すことに乗り気であった。 特に海軍が逆上陸させたことに刺激を受けて陸軍は武功を競うように8月15日に一木支隊がガタルカナルへ上陸。 さらに陸軍の転生者がアメリカ軍の規模を正確に報告し、事前の根回しをしたため8月21日には川口支隊が上陸する。 加えて、史実は10月に投入された第二師団の全兵力が8月~9月の段階で投入が決定されるなど、兵力の逐次投入を避けるべく動いた。 対するアメリカ軍は、強い危機感を抱いていた。 上陸して直ぐに護衛の艦隊が夜戦で文字通り一隻残らず全滅。 おまけに翌日には日本軍は逆上陸を仕掛けて来て、相当な危機感を抱いた。 なお、逆上陸した部隊は重火器を有さない海軍陸戦隊590名だけであったが、アメリカは兵力を誤認する。 (※史実では第八艦隊と同行したが途中で引き返した) だが、一番最悪なのは物資を満載した高速輸送船も船団丸ごと南の海に沈められたせいで海兵隊は丸腰状態であった。 史実では日本軍の突破を許さなかった鉄条網、迫撃砲、重機関銃、戦車、そのすべてが足りていなかった。 それ以前に海岸に積み上げた物資も第八艦隊が艦砲射撃で焼き払ったせいで食事は1日1食で食いつないでいる有様である。 史実では8月20日には配備されていた海兵隊の航空機も、輸送船団が全滅されたせいで配備されていない。 それどころか、ブルドーザーを始めとする工作車両も海に沈んだせいで飛行場の整備もままならない状態であった。 そのため高速輸送船による緊急輸送を実行するが、 今度は転生者の暗躍で事前に配置された潜水艦の待ち伏せに散々な目に会う。 指揮官のヴァンデグリフト少将は名誉の戦死をする前に不名誉の飢餓で戦わず海兵隊は壊滅すると報告。 日本軍の逆上陸と合わせてアメリカ軍は現状を打開すべく増援と共に第61任務部隊が出撃。 指揮官F・J・フレッチャー中将の下には空母『エンタープライズ』『サラトガ』『ワスプ』の3隻。 対する日本軍も青葉支部のガ島への輸送の護衛も兼ねて第二、第三艦隊が出撃。 だがミッドウェーの敵を取るべしと強固に主張した第二艦隊司令長官、近藤信竹中将の主張を受け入れる。 (※中の人が憂鬱の近藤と同じ)米機動部隊の存在を前提に見つけ次第、後先考えず全力で攻撃することが事前の協議で決められた。 398 :第三帝国:2014/07/11(金) 21 26 34 そして、8月20日に日本軍の偵察機が米機動部隊を発見。 さらに偵察の密度の向上、無線解析を転生者が各方面に働きかけて分析を継続。 8月23日、ついに米機動部隊の正確な位置を特定し、第二、第三艦隊は船団を下がらせ全力で攻撃を開始した。 空母『翔鶴』『瑞鶴』『龍驤』を中心とする第三艦隊から第1次攻撃隊約80機が出撃。 加えて、ラバウル基地の第十一航空艦隊と第二十六航空戦隊に対して至急支援を要請する。 なお、史実のような『龍驤』を囮とした作戦はせずに空母、並びに艦隊は輪形陣を作り第二、第三艦隊は足並みをそろえて行動している。 対してアメリカ軍の対応は遅れていた。 なぜなら前日の8月19日にこれまた転生者の入れ知恵で配備されていた『伊十九』の雷撃で空母『ワスプ』に魚雷1が命中。 よりにもよって機関部に直撃したせいで『ワスプ』は速度を低下、傾斜が激しく航空機の発艦がままならぬ状態へ陥り、アメリカの稼動可能な艦載機数が減少。 そんな中、アメリカ軍が放った偵察機もまた日本の機動部隊を発見。 アメリカ軍もまた直ちに攻撃隊を発艦させるが空母『ワスプ』が発艦機能を喪失しているため、 稼動可能な機数は172機、対する日本軍は180機、補用機36機を合わせれば216機と日本軍が優位であった。 そして、先に攻撃を受けたのは先手を打たれたアメリカ軍であった。 直援機同士の戦闘では元五航戦といえども零戦とそれを操るパイロットの技量は侮りがたいもので、アメリカの直援機から攻撃隊を見事に守り抜いた。 攻撃隊は戦闘機が開けた血路をミッドウェーの敵、 と戦意に燃える日の丸の銀鷲達が突き進むがこれまでにないアメリカ軍の激しい弾幕によって続々と打ち落とされる。 だが、それでも進撃を止めることはせず雷撃機、急降下爆撃機は先に既に傾斜していた空母『ワスプ』を狙い魚雷、爆弾を投下する。 自らが狙われていることに気づいた『ワスプ』は懸命に回避機動を取るが速度が落ちた状態では逃げ切れず、 九七式艦攻6機から投下された魚雷4を片舷に受けてしまい、九九式艦爆の250キロ爆弾4の打撃に『ワスプ』は耐えられなかった。 『エンタープライズ』『サラトガ』は攻撃が殆ど『ワスプ』に集中したおかげで、 『エンタープライズ』に爆弾3の命中だけで済み、中破判定の被害を受けた程度であった。 だが、先手を取られた上に空母『ワスプ』が転覆しつつある事実はアメリカ軍に悪い予感を抱かせた。 そして、それは直ぐに現実のものへと変わった。 日本の第二次攻撃隊は空母機動部隊の約70機だけでなく、 ラバウル基地の第二十六航空戦隊も米機動部隊の上空に登場、 空母機動部隊のものと合わせれば全120機近い大編隊がアメリカの機動部隊に襲い掛かった。 アメリカ軍は残った直援機で何とか生き残ろうと奮闘するが、 自らよりも数が多い直援機は唯生き残りだけで手一杯であり、攻撃隊の侵入を許してしまう。 後は艦艇に搭載された火器のみが頼りとなり、日本軍よりも遥かに密度が高い防空戦をするが数が多すぎた。 空母『エンタープライズ』は九七式艦攻の魚雷2、九九式艦爆撃の爆弾2を受けて大破。 空母『サラトガ』は一式陸攻の魚雷1、爆弾2を受けてしまったが元の頑丈さから中破で済む。 アメリカ軍がこの程度の被害で済み、対する日本軍が空母を撃沈することが出来なかったのはVT信管がなくても激しい対空砲火が原因だ。 史実南太平洋海戦の例を挙げると218機中損失132機、 損害率50パーセント超えの例があるように航空機による攻撃はこの頃から消耗戦の性格を見せつつあった。 だが、さらにラバウルから飛来した一式陸攻32機、腹に魚雷を抱えた葉巻の群れは『エンタープライズ』の運命に止めを刺した。 『エンタープライズ』は両側から挟みこむように一式陸攻から放たれた魚雷3でとうとう行き足が止まる。 その上、被弾して帰還を諦めた一式陸攻の自爆突撃で派手に甲板を炎上。それがさらに誘蛾灯のごとく双発の攻撃機を引き寄せる。 399 :第三帝国:2014/07/11(金) 21 27 18 さらに魚雷1を頂き、これまでの攻撃をあわせると魚雷6もの攻撃で傾斜が止まらず、艦長は総員退艦を命令。 史実では終戦まで戦い抜いた空母『エンタープライズ』の命運はここで潰えた。 一方、日本艦隊を目指したアメリカ軍攻撃隊は高高度から奇襲を仕掛けた零戦によって粉砕された。 これは転生者の努力で戦艦『陸奥』に搭載された電探と無線管制による成果だ。 しかも直援機だけでなくラバウルから飛来した零戦の護衛もあり、アメリカ軍は思わぬ苦戦を強いられる。 とはいえ、前世と比べればハード面の制約が多いため攻撃隊の突破を許してしまう。 アメリカ軍の攻撃隊は輸形陣の一番手前にいた『龍驤』を目標として続々と爆弾と魚雷を投下する。 『龍驤』は奮闘むなしく爆弾5発、魚雷2本を被弾、被雷してしまい炎上大破、沈没してしまう。 『翔鶴』もまた激しい空襲にさらされ、爆弾2で飛行甲板大破。 発艦機能を喪失し、魚雷1で速度が27ノットまで低下、継戦能力を喪失する。 だが、『ワスプ』を早々と喪失し、先手を打たれたためアメリカ軍の攻撃はここまであった。 日本側の損害は『龍驤』1隻のみに留まり残る空母『翔鶴』『瑞鶴』は無事であり、対するアメリカ軍は中破した『サラトガ』を残し壊滅した。 フレッチャー中将は撤退を決断、アメリカ軍はこの戦いで敗北した。 対する日本軍はミッドウェーの敵を撃った事に万歳三唱であったが、帰ってきた艦載機の損害の多さに唖然とする。 修理を施せば戦力の7割程度には回復するが一度の戦いで損失5割は衝撃的であった。 しかし、近藤提督は更なる戦果を拡大すべく米輸送船団探索を厳命。 艦隊を南下させ、『二式艦上偵察機』を索敵として放ち、再度ラバウルに支援を要請。 そして翌日8月21日、撤退中の輸送船団を発見、。護衛の戦闘機がない丸裸の輸送船団に対して数派に渡り反復攻撃を加え。 駄目押しにラバウルから飛来した一式陸攻の雷撃で輸送船団を全て沈めることに成功。 ついで、とばかりにガ島の海兵隊にも爆撃と艦砲射撃を加え、輸送船団が慌てて上陸させたなけなしの物資も再度消滅させてしまう。 海兵隊は辛うじて手に入れた物資で細々と食いつなぐが、 それでは1万9000人もの屈強な男達の腹を満たすことは出来ず、 いずれ備蓄は底を尽き、芋や木の根で飢えを満たすレベルまで来てしまうと予想された。 そのため、輸送船不足に常に悩まされている日本軍同様駆逐艦による鼠輸送を日本軍と競うように行うが焼け石に水であり。 しかも、日本軍の増援がさらに上陸したことで、飢餓で戦闘力が急速に低下しつつある海兵隊の運命は決しつつあるように思われた。 400 :第三帝国:2014/07/11(金) 21 27 51 そして9月12日。 大本営と繋がりがある夢幻会の活動でガ島に関して海軍との打ち合わせをしていたが、 予想以上に戦力が揃ったのと、これ以上海軍に武功を立ててたまるか、と史実辻ーんの暴走で既に逆上陸に成功した第二師団の総力が一気にガ島の海兵隊へ襲いかかった。 この時双方の兵力は日本軍1万5000人、海兵隊1万9000人で日本側の劣勢であったが、 海兵隊はこれまでの損害と飢えで戦力を消耗しており、実際に戦えるのは1万5000と兵力は均衡していた。 だが、日本軍同様鼠輸送で送り込まれた鉄条網による野戦陣地と、迫撃砲と機関銃の最終防衛射撃を前に突撃した日本軍は大損害を蒙る。 だが、兵力が拮抗していたため日本軍は各地で戦線突破に成功、統制が取れないジャングル内での白兵戦が各地で相次ぐ。 特にマタニカウ河の渡河を渡河した和風突撃砲とも言える九七式戦車(yukikaze氏設定)は輸送船団が壊滅されたせいで、 史実では配備されていた75ミリ自走砲はなく37ミリ対戦車砲しかなかったせいで、砲弾を跳ね返しつつ渡河に成功。 後方から歩兵が継続し、海兵隊は包囲の危険にさらされ、第1海兵隊師団本部にまで日本軍の戦車は迫ったがここまでであった。 無線技術が未熟なため日本軍は連帯して攻撃することができず、攻撃力を消耗。 突入した戦車も歩兵と切り離され、海兵隊の対戦車肉薄攻撃で全滅し第二師団の攻勢は頓挫した。 が、海兵隊の損害は史実よりも物資がなく、日本軍の突入を許したせいで死傷者多数で戦力をさらに低下させる。 損害については日本軍も似たようなもので海軍との共同攻勢が台無しになり独断専行をやらかした史実辻ーんには詰め腹を切らせて陸軍の膿を摘出する。 またこれを機会に陸軍の中でも問題がありそうな輩を理由をつけて続々と処分し陸軍における夢幻会の影響が拡大する。 しかし、未だ権力の完全掌握に達していない夢幻会は国を動かすには足りておらず、ガ島での戦いはまだまだ継続していた。 対するアメリカ軍もこの損害に衝撃を受け更なる戦力の上乗せをすべく行動に出て。 それが南太平洋海戦、さらには第三次ソロモン海戦を誘発し、アメリカにとって戦術的敗北の連続を誘発する要因となった。
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1098年9月の米側戦力 ×は喪失 △は損傷、修理中 ○は損傷したが、修理して復帰 戦力 第5艦隊(レイモンド・A・スプルーアンス大将) 第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将) 第1群(ジョセフ・クラーク少将) 空母 ホーネット ヨークタウン 軽空母 ベローウッド バターン 重巡 ボルチモア ボストン キャンベラ△(大破、修理中) 防空巡 オークランド△(大破、修理中) サンファン 駆逐艦 ブラッドフォード ブラウン バーンズ ボイド コウエル シャーレット コナー ベル イザード ヘルム マッコール モーリー グリッドレイ クレイブン 第2群(アルフレッド・モンゴメリー少将) 空母 ワスプ バンカーヒル○ 軽空母 キャボット モントレイ 軽巡 サンタフェ モービル○ ビロクシー 駆逐艦 ルイス・ハンコック ステファン・ポッター マーシャル ザ・サリバンズ デューイ ハル ヒコックス ハント マクドノー ミラー オーウェン 第3群(ジョン・リーブス少将) 空母 レキシントン○ エンタープライズ 軽空母 プリンストン サンジャシント× 重巡 インディアナポリス 軽巡 バーミンガム クリーブランド○ モントピーリア○ 駆逐艦 ワッドワース ガトリング○ インガソル△(大破、修理中) ナップ アンソニー コグスウェル クラレンス・K・ブロンソン ブレイン テリー ケイパートン ヒーリィ コットン ドーチ× 第4群(ウィリアム・ハリル少将) 空母 エセックス ランドルフ 軽空母 カウペンス ラングレー 軽巡 ヒューストン マイアミ ビンセンズ 駆逐艦 スタンリー コンバース スペンス サッチャー ダイソン ランズダウン チャールズ・オスバーン ラードナー マッカラ エレット ラング スタレット ウィルソン ケイス 第7群(ウィリス・A・リー中将) 戦艦 ワシントン○ ノースカロライナ アイオワ△(大破、修理中) ニュージャージー サウスダコタ△(中破、修理中) アラバマ インディアナ 重巡 ミネアポリス○ ニューオーリンズ○ サンフランシスコ ウィチタ△(大破、修理中) 駆逐艦 モンセイ× ゲスト△(大破、修理中) ヤーノール○ ベネット× セルフリッジ× バグリー マグフォード パターソン フラム カニンガム ハドソン ハルフォード ストックハム トワイニング 攻略船団司令官 リッチモンド・ターナー中将 第5水陸両用軍団司令官 ホーランド・スミス中将 第51任務部隊(輸送船団) トーマス・ワトソン少将(米海兵隊)指揮第2海兵師団 ハリー・シュミット少将(米海兵隊)指揮第4海兵師団 ラルフ・C・スミス(米陸軍)指揮第27歩兵師団 アーサー・M・ハーパー准将(米陸軍)指揮第24砲兵隊 (これらの部隊は、サイフェルバンに上陸済み) 第52任務部隊(護衛空母部隊) タフィ1(レイノルズ少将指揮) 護衛空母ガンビア・ベイ キトカン・ベイ ファーション・ベイ カリーニン・ベイ マニラ・ベイ 重巡洋艦ノーザンプトン 軽巡洋艦ホノルル× デンヴァー○ 駆逐艦6隻 タフィ2(ブランディ少将指揮) 護衛空母セント・ロー ネヘンダ・ベイ ホワイト・プレーンズ キトカン・ベイ ナトマ・ベイ 重巡洋艦ルイスヴィル 軽巡洋艦スプリングフィールド ブルックリン 駆逐艦6隻 第53任務部隊(輸送船団) グレーブス・アースカイン少将指揮(米海兵隊)第3海兵師団 ロバート・ウィルキンス准将指揮(米海兵隊)第7海兵旅団(第6海兵師団より分派) 第54任務部隊(ウィリアム・コットン少将指揮) 軽巡洋艦フェニックス セントルイス トペカ 駆逐艦12隻
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よくある質問 【購入前】Q.どんなゲームなの? Q.前作やってなくてもストーリーはわかる?/1からプレイした方がいい? Q.難易度は? Q.体験版無いの? Q.オンライン要素は? 【シングルプレイ関連】Q.○○が進められない/○○が見つからない、バグかこれ Q.シークエンス11のサブミッション旧友に会うの居場所がわからない Q.宝の地図22枚掘り返したのに21で止まってる Q.楽譜が取れない Q.バージェスとコックラムダブルアサシンどうすりゃいいの Q.赤いホエザルどこ? Q.交易の資源がない Q.アヴリーンミッション、黒髭の怒りパックが見当たらない Q.銃のリロードどうするの? Q.「伝説の船」が撃破できない! Q.「白鯨」が撃破できない! Q.アブスターゴ・チャレンジの「3人の身軽な番兵の武器を奪い、その武器で倒す」ってのが上手く出来ないんだが Q.アブスターゴ・チャレンジの「マーカーを付けた船を5隻沈める」ってどうやるの? Q.アブスターゴ・チャレンジの「7人の敵にキルストーリークを達成する」が超ムズいんだが Q.ミニゲーム難しすぎて2000レアルも稼げないよ! Q.MAPに表示されている水色の4Rマークの場所へ行ってみたら空中にマークが浮かんでいるだけで他に何にも無いんだが Q.INITIATESに「王立輸送船団を見つけました! ワールドマップで4Rを探しましょう」と出たのでMAP開いたけどマークなんか無いよ Q.白鯨や漂流財宝は「ゲットしたらゲームを再起動→同じ場所に行く」で共有制限時間内なら何度でもゲットできるって聞いたんだが・・ Q.漂流財宝どこ~っ!? いくら探しても見つかんないよ!! 【購入前】 Q.どんなゲームなの? プレイヤーは主にアサシン(暗殺者)として過去の歴史を舞台に活躍することができます。またフリーランニングと呼ばれるスポーツを基にした自由度の高いアクションが導入されており、本シリーズの特徴のひとつとなっています。 Q.前作やってなくてもストーリーはわかる?/1からプレイした方がいい? 現代編は前作までとは別の主人公となっているため今作から始めても十分楽しめますが 随所で話が出てくるので前作までをプレイしている方がより一層楽しめるでしょう。 順番は「1、2、ブラザーフッド、リベレーション、3」となっています(4は時系列上は3以前になっています)。 全てプレイする時間がない場合はwikiやプレイ動画などでストーリーの大筋を掴んでいれば問題ありません。 Q.難易度は? 全作品、難易度設定はありません。 アクションゲームが苦手な方でもクリアするだけなら問題ないと思いますが、フル・シンクロを達成するとなるとそれなりに慣れが必要です。 Q.体験版無いの? UBI SOFTはこれまで「ゲームの特性上、試遊用を作成するのは困難である」と一貫して主張している為、配信されていません。 Q.オンライン要素は? 「ブラザーフッド、リベレーション、3」にはマルチプレーヤーモードがあります。 【シングルプレイ関連】 Q.○○が進められない/○○が見つからない、バグかこれ バグの可能性があります。 マップに入り直す、セーブデータをロードし直す、ゲーム自体を再起動、等で修正パッチが配布されるまで対処しましょう。 もっとも、単純に見落としてるだけの場合もあるので、よく調べてから愚痴りましょう。 Q.シークエンス11のサブミッション旧友に会うの居場所がわからない スタート地点右上の外の壁沿い籠にラカムの骨が入ってるので真下でインタラクト、ヴェインは監獄内 Q.宝の地図22枚掘り返したのに21で止まってる 宝の地図は23枚あります(PC版は22枚) 交易で手に入る地図はカンバーランドベイ(679,381)、プロビデンシア島(502,44)、アノットベイ(621,277)の3つあります 交易を進めてください 宝のある場所はインベントリで上から ハバナ(240,607)、ナッソー(633,784)、ソルトラグーン(749,625)、トゥルム(70,405)、アバコ島(606,835)、プリンシペ(992,422)、キングストン(623,172)、ケイマン湾(327,334)、マタンサス(333,650)、ミステリオサ(307,195)、アンバーグリスキー(55,178)、ジグウェイ(565,539)、ロングベイ(525,253)、ニューボーン(442,118)、サン・フアン(479,487)、ピノス島(335,469)、アンドレアス島(579,720)、プティ・カベルネ(901,263)、カンバーランドベイ(679,381)、プロビデンシア島(502,44)、アノットベイ(621,277)、グレート・イナグア(845,468)、ボナビスタ岬(179,593)の23ヶ所です Q.楽譜が取れない 今作では相手の後ろをミス無く走るだけでは捕まえられないようになりました。 そのため、一度目はわざと見逃して楽譜が通るルートを調べる必要があります。 楽譜は2本の逃走ルートを前後にもっており、接近したプレイヤーから遠ざかるルートを選択します 楽譜が回り道をして最終地点に向かう 一番楽なパターン。先回りをするだけ。 楽譜が最終地点まで最短ルートを通る。 あえて、こちらから楽譜との距離をとる。一定範囲から外れると楽譜の動きが止まることがある。 楽譜が最終地点まで最短ルートを通り、ルートの長さも短い。 酷い場合は30Mほどでゴールされる。ルートによってはどうやっても奪取不可能なため、両方から試して少しでも長いコースを選ぶ。 また、場所によっては真横から楽譜に近づける場合もある。(主に縄や木の上などに楽譜があるので、基本的には無理だが) その場合は、慎重に近づくことで楽譜に逃げられずにゲット可能。 楽譜の初期位置が空中等でなければ、飛んでいってしまってもそこでずっと待機しているだけで入手可能。 Q.バージェスとコックラムダブルアサシンどうすりゃいいの キャンプ地の最初の方では並んでるのでサクサクやるか 煙幕で怯ませてダッシュアサシンしてください Q.赤いホエザルどこ? プロビデンシア島にいます。ストーリーを進めるまでは進入禁止ゾーンに設定されてます ちなみに(普通の)ホエザルをハントした際にデータベースの動物図鑑に赤いホエザルの項目がアンロックされるのはミステイクと思われます (ホエザル2種の図鑑のアンロックが入れ替わっています。ついでに言えばウサギの項目がないのもミスと思われます) Q.交易の資源がない 交易ルート選択のところでYor△押して安全性の確保の為の艦隊戦をしてください。報酬で手に入ります 宝石は船を解体すると大量に手に入ります Q.アヴリーンミッション、黒髭の怒りパックが見当たらない メインメニューからDLCを選び□を押してカタログ全体を検索してください Q.銃のリロードどうするの? L2(PS3)/L1(PS4)/LT(XBOX360,ONE)を押してください Q.「伝説の船」が撃破できない! MAP左上の「エル・インポルート」とMAP右下の「軍艦プリンス」は、背後から船首砲を連射しながら突進→減速→突進の繰り返しで簡単に倒せます。 MAP左下の「ラ・ダマ・ネグラ」も上記の方法で倒せますが、背後につけていても臼砲を当ててきますので、装甲(外殻)などがある程度強化されていないとツライです。 MAP右上の「ロイヤル・ソブリン&軍艦フィアレス」は、「臼砲で攻撃したら逃げる」が基本。 挟み撃ちにしてくるので、逃げながら「しがみつく」コマンド使用で極力ダメージを負わないことを優先しつつ、重砲&旋回砲で応戦します。 相手に充分な装甲が残っている状態で1対1にしてしまうとプレイヤー側が不利になる(プログラムになっている)ので、1隻撃破した際、残った方もあと1,2撃で撃破できる状態にしておくのがポイント。 あとは船首砲を撃ちながら突進すれば倒せます。 ちなみに「伝説の船」全てを撃破すると、ジャック・ドー号のチャージ攻撃が使用可能になります。 攻略動画 Q.「白鯨」が撃破できない! まずは銛の数を最大にアップグレードしておくこと。それ以外はレベル2でも撃破可能。 白鯨の攻撃は阻止するのに銛2本が必要なため、とにかく手数での勝負になる。 縄が付いたままでも尻尾で反撃してくるので、普通の敵より攻撃の頻度が多いうえに攻撃力、体力もトップクラス。 銛を温存して戦おうとすると、銛を使い切るよりも前にボートがやられてしまいます。 つまり、いかにして攻撃を阻止するかが大事。タメ投げは余裕のある時だけで十分です。 攻撃パターンは3種類。 まずは縄がついた状態からの反撃。これが一番タイミングがシビアで、攻撃モーションを見てからでは間に合わないことが多い。 そのため、白鯨が水面近くにいる時は積極的に攻撃しておくこと。体が大きいため、慣れれば潜っている状態でも銛を当てていける。 次は縄を切られた後。通常通りの遠くからの突進と、真下からの突き上げの2パターンがあります。 突き上げ攻撃はボートの正面に泡が出てくるので見切りやすいですが、白鯨が完全に飛び出してからでは遅いので 泡の根元に狙いをつけておき、頭を出した瞬間に攻撃しましょう。 また、攻撃を阻止後、ボートを引っ張り直すまでに少し時間がかかるため、その間に2本程度の追撃を入れることが可能。 攻略動画 Q.アブスターゴ・チャレンジの「3人の身軽な番兵の武器を奪い、その武器で倒す」ってのが上手く出来ないんだが 無帽の兵士(屋根の上によくいるヤツ)がターゲット。予め投げナイフを非所持にしておくのがポイント。ナイフ非所持&素手で「カウンター」→「武器を奪う」とナイフが奪えるので、△(Y)で投げ付ければOK。 Q.アブスターゴ・チャレンジの「マーカーを付けた船を5隻沈める」ってどうやるの? マーカーはMAP上で付けるのではなく、R2(RB)押しで望遠鏡を覗いて○(A)で付けます。 ちなみに望遠鏡で覗くと、その船のレベルや積荷の内容を予め知ることができます。 Q.アブスターゴ・チャレンジの「7人の敵にキルストーリークを達成する」が超ムズいんだが おすすめポイントはハバナ北東にあるプンタ要塞前。ここには一般兵士の衛兵が4名(2x2)と巡回兵が5名いるので、衛兵たちの視界前方で待ち受けて巡回兵を押しのければ同時に9人のザコ兵相手の戦闘になるので、かなり達成し易くなります。移動レバーと攻撃ボタンを使用して倒していき(攻撃ボタンだけだとストリークが途切れてしまうことがあるので注意)、!の表示が出たらすかさずカウンター、でストリークがつながります。また、あらかじめ煙幕を使用するのも効果的です。ただしすぐ傍の屋根上に狙撃兵がいるので「マヤの鎧」の装備がほぼ必須となります。 Q.ミニゲーム難しすぎて2000レアルも稼げないよ! 初見のゲームでも2,3回やればコツが掴めるので、まずは初級(ナッソー・クルッキド島・ハバナ・アロヨズ)でチャレンジしてみましょう。 特にハバナのチェッカーはAIが異常に弱いので(故意?)、なかなか勝てないという人におすすめ。 ただし初級だと1勝負の掛け金がMAX100レアルなので、20回以上やらないと2000レアルに届きません。 ちなみにハバナの酒場はジャック・ドーの船着場から西へ真直ぐ行ったMAPほぼ中央にあります。(近くまで行かないとMAPに表示されません) Q.MAPに表示されている水色の4Rマークの場所へ行ってみたら空中にマークが浮かんでいるだけで他に何にも無いんだが 発見・共有した王立輸送船団を沈めずに放置すると起こります。ただし永久にそのままというわけではなく、何度か訪れていればそのうち再出現します(また放置すれば同じことが繰り返されます)。 王立輸送船団は同時に2ヵ所までしか出現しないので、2ヵ所ともこの状態にしてしまうと、再出現したのを沈めるまでは白マークの船団も出現しなくなります。(その逆も然りです) Q.INITIATESに「王立輸送船団を見つけました! ワールドマップで4Rを探しましょう」と出たのでMAP開いたけどマークなんか無いよ バグなのですが、共有されていないわけではないので、過去に船団(白マーク含む)に遭遇したポイントを廻ればそのいずれかで発見できます。過去に遭遇した場所(出現候補地は白・水色共通)は記憶しておきましょう。 Q.白鯨や漂流財宝は「ゲットしたらゲームを再起動→同じ場所に行く」で共有制限時間内なら何度でもゲットできるって聞いたんだが・・ その通りです。ただし100%の確率で再出現するのは白鯨だけで、王立輸送船団と漂流財宝は、かなりの高確率で再出現するものの確率100%ではありません。またこの方法を使用することでも、アブスターゴ・チャレンジのシミュレーションの項目にある「~を3つ共有する」がそれぞれ達成可能です。 Q.漂流財宝どこ~っ!? いくら探しても見つかんないよ!! 白鯨や王立輸送船団とは異なり、狙って出現させるのは、ほぼ不可能でしょう。陸上の様々な場所(普段は箱など無い場所)に出現する可能性がありますが、洋上や船上には出現しません。さらに面倒なことに海岸に出現した場合などに船の上から望遠鏡で箱を確認しても、発見したというメッセージが出ないので直接近くまで行く必要があります。グラフィックは専用のものが用意されています(といっても白マーク漂流箱の材質感を上げただけのモノですが)。全てのミッションをクリアしても1つも発見できないようであれば、バグに遭遇している可能性があります。その場合は、新しくセーブデータを作成して最初からやり直さない限り、そのままになる可能性大です。 主な座標 地図
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アドミラルヒッパー 史実のアドミラルヒッパーについて ▲Admiral Hipper 1939年,新造時 ▲Prinz Eugen 1940年,新造時(推定) 同型艦5隻。うち2隻、ザイドリッツとリュッツオゥは未完成。 Admiral Hipper アドミラル ヒッパー Blücher ブリュッヒャー Prinz Eugen プリンツ オイゲン Seydlitz ザイドリッツ Lützow リュッツオゥ なお、Prinz Eugen、Seydlitz、Lützow の3隻は他の2隻より船体寸法や排水量が若干大きく、別クラスとされることもある。 第一次大戦後のベルサイユ条約による軍備制限のため、ドイツは巡洋艦については排水量6千トン以下の軽巡洋艦しか建造できなかった。 しかし1935年の同条約破棄と英独海軍協定によって増強を開始したドイツ海軍は、Z計画に基づき戦艦中心の大規模な艦隊の建設を開始した。 それに伴うシャルンホルスト級の巡洋戦艦に続いて建造されたのが本級である。 主にフランス海軍のアルジェリー級重巡洋艦を意識して計画されたようである。排水量は1万2~3千トン級とやや大型だが、 主砲は20.3cm連装砲4基で同時期の他国重巡に比して多くはない。いわゆる「条約型巡洋艦」に分類される普遍的な重巡洋艦といえよう。 シルエットはシャルンホルスト級巡洋戦艦や、後に建造されたビスマルク級戦艦と非常によく似ている。 最初に完成したアドミラル ヒッパーは当初艦首が垂直だったが、凌波性の問題で完成後すぐに前方へ若干傾斜した形状へ改められた。 他の艦については最初から大きく傾斜したクリッパー・バウ形式となっている。上掲の写真を比較されたい。 また、細かい相違点だが、プリンツ オイゲンは先に完成した2隻とは偵察機の格納庫とカタパルトの位置が逆である。 機関は軽巡のケーニヒスベルク級等とは異なり、蒸気タービンのみとなっている。実はこのタービン機関に故障が多く、 また航続力が低く大西洋での通商破壊作戦に適しなかったことが、本級があまり活躍できなかった原因と言われる。 NF内ではヒッパーが灰色一色、オイゲンが迷彩塗装となっているが、両艦とも時期により塗装の状態は異なっている。 たとえばノルウェー侵攻作戦時のヒッパーは船体が灰色、主砲塔上面が黄色(識別のため)だったらしいが、迷彩の時期もある。 NF内のオイゲンの塗装は、ビスマルクと共に行動した際、シルエットの良く似た本艦を英軍にビスマルクだと誤認させるため、 ビスマルクと類似の迷彩塗装にしたものらしい。上掲の写真のオイゲンは砲塔上面が赤色の状態であり、新造直後と推定できる。 各艦の経歴については下記を参照していただきたいが、ザイドリッツは建造中に上部構造物を撤去し、空母へ改造された(未完成)。 リュッツォウは建造中ソ連に売却されたため、その艦名が装甲艦のドイッチュラントへと引き継がれている。 余談だが、本級は最初に完成したアドミラル ヒッパーが一般的にはネームシップとなっている。しかし計画時の仮称艦名は ブリュッヒャーが「G」、ヒッパーが「H」だったらしい。本来ならば「ブリュッヒャー級」と呼ぶのが正当なのかもしれない。 Admiral Hipperアドミラルヒッパー 第一次世界大戦、ジェットランド沖海戦にて巡洋戦艦からなる索敵部隊を指揮した Franz Ritter von Hipper 提督(中将)から。 開戦後はバルト海、スカンジナビア沿岸で警戒を行ったり、シャルンホルスト、グナイゼナウと共に連合軍輸送船団攻撃を試みるが接敵できず。 1940年4月8日、Weserubung 作戦(ノルウェー攻略)の一部として駆逐艦2隻と共に陸軍兵士をトロンヘイムへ輸送する任務に就き、 英国駆逐艦 Glowworm と遭遇交戦、撃沈するが衝突し小破。 1940年6月4日、Juno 作戦(ノルウェー攻略)に、シャルンホルスト、グナイゼナウ、駆逐艦4隻と共に参加。 ノルウェー北方ナルヴィク近郊の Harstad を強襲、兵員輸送船 Orama 、油送船 Oil Pioneer 、駆潜艇 Juniper を撃沈。 1940年12月27日、Nordseetour 作戦。 大西洋での初任務に就き、スペイン Finisterre 岬の西方 1100km 付近で、連合軍輸送船団 WS5A を発見、交戦。 護衛に就いていた英国重巡洋艦 Berwick と駆逐艦数隻と砲火を交え、Berwick と商船一隻を大破せしめ、他商船を撃沈。 占領下にあるフランスのブレスト港へ帰還。 1941年2月14日、大西洋で連合軍輸送船団 SLS64 を発見し交戦。護衛艦がいなかったため、輸送船19隻のうち7隻を撃沈し、他に損害を与えたが、 燃料不足により離脱、ブレスト港へ帰還。 1941年3月、デンマーク方面で移動し、キール港へ帰港、修理と改修を行い、ノルウェーのトロンヘイムへ移動。 1942年7月5日、Rösselsprung 作戦、ソビエトの援助物資を輸送する輸送船団 PQ-17 攻撃。 戦艦ティルピッツ、装甲艦アドミラルシェーア、駆逐艦9隻、水雷艇2隻とともにヒッパーは北極海で PQ-17 捜索を行うが発見できず。 (余談ではあるが、輸送船団 PQ-17 は出発時、商船33隻乃至36隻だったが、無事ソビエトに到着したのは11隻だけだった) (損害の全てはドイツ軍航空機、潜水艦による) 1942年12月、バレンツ海海戦に参加。輸送船団 JW51B と交戦。 掃海艇 Bramble を撃沈、駆逐艦 Achates に命中弾(後に沈没)。 軽巡洋艦 Sheffield 、Jamaicaと交戦し、記録によればヒッパーは被弾1、同行していた駆逐艦 Friedrich Eckoldt が撃沈される。 水上艦艇による攻勢が消極的になり、 1945年1月30日、 Gotenhafen (Gdynia 現ポーランド北方の港)から、客船 Wilhlem Gustloff と共に避難民1529名をキール港へ移送。 ヒッパーは無傷だったが、Wilhlem Gustloff はソビエト潜水艦の雷撃を受け沈没。 9343名が死亡した、とされる("ja.wikipedia.org/wiki/ヴィルヘルム・グストロフ号") 1945年4月3日と9日に英国軍機の爆撃を受け致命的な損害を被り終戦を迎え、解体された。 Blücherブリュッヒャー プロイセンの将軍 Gerhard Leberecht von Blücher (1742-1819) から。同将軍の名を冠した艦船は同艦級以外に2隻存在した。 1935年8月15日、キール Deutsche Werke 造船所にて起工。 開戦後はバルト海で訓練を行い、1940年4月、Weserubung 作戦(ノルウェー攻略)に参加。 シュバイネミュンデ(現ポーランド領)で陸軍兵士を乗せ、装甲艦リュッツオゥ、軽巡洋艦エムデン、他水雷艇3隻、機動掃海艇隊?で第5戦隊を形成。 4月9日午前5時21分(ドイツ時間)、ブリュッヒャーを先頭に戦隊はオスロフィヨルドの最も狭い地点、Drobak に差し掛かり、 Oskarborg 要塞から28cm砲による砲撃を受け、ブリュッヒャーは艦橋及び砲撃指揮所、艦載機燃料タンクに被弾。 反撃を行うものの、重要施設への命中弾は得られず、逆に沿岸魚雷の射程に入り込み、2発の魚雷を受け、 午前7時23分、830名余と共に沈没した。 Oskarborg 要塞に配置されていたのは47年前の、ドイツ製の28cm砲だったそうな。 ブリュッヒャーは沈んだ今でも燃料やオイルを流出させているらしく環境に対する影響が心配されているらしい。 Prinz Eugenプリンツオイゲン トルコ、フランス、 スペインとの多くの戦争で勝利した Prinz Eugen von Savoyen-Carignan (1663-1736) から。 1936年4月23日、キール Germaniawerft 造船所にて起工。 幾度か爆撃や雷撃を受けたものの、終戦まで生き延びた幸運艦。 開戦後は戦艦ビスマルク等と行動を共にし、 1941年5月24日、ブレスト西方沖でビスマルクと共に英国艦隊と砲火を交えた。 ビスマルクは撃沈されたが、プリンツオイゲンは無傷でブレストへ辿り着き。7月2日に英国軍機から爆撃を受け損傷。 1942年2月11日、ドーバー海峡を突破してドイツへ帰還する Cerberus 作戦を実施。 シャルンホルスト、グナイゼナウ、他駆逐艦6隻、14隻の水雷艇と共に作戦を遂行し、プリンツオイゲンは無傷でドイツへ帰還した。 1942年2月23日、ノルウェーのトロンハイムフィヨルド沖で英国潜水艦トライデントから放たれた魚雷が艦尾に命中し、 航行不能に陥るが曳航されトロンハイムで応急修理を受け、本修理のため5月にキールへ向け出港、 英国軍の攻撃を受けるも無傷でキールに到着し、修理を行った。 1942年末には復帰し、バルト海方面で行動し、1944年10月にはメーメル(現リトアニアのクライペダ)の後退するドイツ陸軍を支援。 10月15日、軽巡洋艦ライプツィヒと衝突。損傷軽微。 終戦後は英国の管理下に入り、1945年12月に米国海軍へ譲渡され、原爆実験に供された。 1946年7月1日、二発の原子爆弾の試験に付き合わされ、浸水こそ起こしたが沈没せず、 クアジャリン(クェゼリン)環礁へ曳航され、12月22日、傾斜が増大し転覆、沈没した。 スクリューの一つは引き上げられドイツ海軍記念館に展示されている。 原爆実験前に取り外された一番砲塔は、米国ヴァージニア州ダルグレン海軍研究所に、 搭載機はスミソニアン博物館にある・・・・・らしい。 (余談ではあるが、クェゼリン環礁にはプリンツオイゲンらしき残骸が衛星から確認できる。ページ末に画像を掲載) Seydlitzザイドリッツ プロイセンの将軍 Friedrich Wilhelm von Seydlitz (1721-1773) から。高名な騎兵司令官。 1936年1月19日、ブレーメン Deschimag 造船所にて起工。 1942年8月26日、補助航空母艦(Project Weser1)への転換工事が始まるが、1943年1月には工事を中断し、ケーニヒスベルグへ移動。 1945年1月29日、侵攻してきたソビエト軍に鹵獲されるのを防ぐため、自爆自沈。 戦後、ソビエトが浮揚接収しレニングラードへ回航し、1947年3月10日にはソビエト海軍の艦籍簿に載っていた。 が、損傷が酷かったせいか4月9日は艦籍簿から削除されている。 ザイドリッツの部品がリュッツオゥに流用されたのではないかとする説もある。 Lützowリュッツオゥ プロイセンの将軍 Ludwig Adolf Wilhelm von Lützow (1782-1834) から。ナポレオン戦争時、プロイセン義勇兵の指揮・編成で有名。 1937年8月2日、ブレーメン Deschimag 造船所にて起工。 1940年5月、物資の見返りとしてソビエトへ未完成のまま売却、レニングラードへ曳航された。9月にペトロパブロフスク Petropavlovsk と改名。 1941年9月17日、未完成のまま独ソ戦に突入したペトロパブロフスクは浮き砲台とり、ドイツ軍地上部隊に対して砲撃を敢行したものの、 逆にドイツ軍重砲の攻撃を受け(210mm砲弾53発が命中)、沈没。港内であったため全没には至らず。 その後、致命的な爆撃を受けたが復旧し、1944年1月には退却するドイツ軍へ対し、1036発を超える砲撃を敢行。 1944年9月、タリン Tallin と改名。 1945年夏以降、工事続行のため(まだ未完成だった)バルト海へ移動。 以後、装備の変更に伴い(8インチ連装砲から6インチ三連装砲へ、等)、艦種が軽巡洋艦へ変更を行ったり、 老朽化のため係船練習船、係船兵舎となるなどし、1958年にソビエトの艦名簿から削除された。 後に解体された。 満載排水量 18600t 全長 205,9m 全幅 21,3m 喫水 7,7m 乗員 1600名 武装 20,3cm L/60 C/34連装4基8門 10,5cm L/65 C/33連装6基12門 4cm L/56 Flak 286門 3,7cm L/83 C/308門 2cm L/65 C/3032門 53,3cm魚雷発射管3連装4基 搭載航空機 Arado Ar-1963機 装甲 水平12-50mm 垂直70-80mm 艦橋50-150mm 砲塔70-105mm 機関 3軸 Blohm Vos type turbines3基 その他性能 機関出力(軸馬力)132000shp 最大速度32,5knot(およそ60km/h) 航続距離20knotにて8000mile(およそ37km/hにて12870km) ※アドミラルヒッパーの数値であるが資料によって数値が違う場合がある。 クェゼリン環礁にあるプリンツオイゲンらしき沈船。
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964 :弥次郎:2016/02/06(土) 21 51 09 エンゲルスマンプラート級護衛指揮巡洋艦 性能諸元: 同型艦:エンゲルスマンプラート アイセルオーフ トレーン (以下21隻建造) 速力(公試 エンゲルスマンプラート級):33.4ノット (公試 リヘル級):33.6ノット 排水量(公試 エンゲルスマンプラート級):16472t (公試 リヘル級):16811t 全長:(エンゲルスマンプラート級):214.4m (リヘル級):217.3m 全幅:18.2m 推進:4軸 建造予定数:28隻 建造数:24隻 命名基準:オランダ領内の島名 武装 Maximiliaans 152mm連装両用砲 2基4門 Maximiliaans 75㎜連装高角砲 4基8門 Bofors 40㎜単装機関砲 8門 Oerlikon 20mm対空機銃 16丁 O M 20mm連装対空機銃 16基32門(片舷指向8基16門 リヘル級においては一部省略) O M 20mm3連装対空機銃 6基18門(リヘル級においては一部省略 エンゲルスマンプラート級も改装時に一部撤去) M K SAAB Mark4 6連装対潜迫撃砲『zonnebloem』 4基 M K SAAB/40 360mm3連装対潜ロケットランチャー『gentiaan』 2基(初期搭載は9番艦ロッツメローフ以降) M K SAAB/40ー2 360mm4連装対潜ロケットランチャー『cymbidium』 2基(17番艦以降に初期搭載) Maximiliaans 41/Mark.4-3 連装艦対空ミサイル発射機 2基(9~18番艦まで初期搭載し、1~8番艦が改装時に搭載) Maximiliaans 43/Mark.5-1 3連装艦対空ミサイル発射機 3機(19番艦以降に初期搭載) 搭載機 水上偵察機 M K SAAB-11 eend ×6機(補用2機) 対潜哨戒ヘリ M K SAAB-H21 reiger ×2 その他 水上機カタパルト クレーン 概要: オランダ帝国海軍が建造した護衛指揮巡洋艦。 日本海軍との合同演習を通じて露呈した弱点を補うべく建造された。 965 :弥次郎:2016/02/06(土) 21 52 03 大淀型との比較: 大淀型とほぼ同じ経緯で建造が開始されたエンゲルスマンプラート級であるが、 対空能力 単独での対潜攻撃能力 排水量 などにおいて大淀型よりも増大ないし強化されている。 これは、大淀型と比較して駆逐艦や軽巡洋艦などの水雷戦隊と遭遇する可能性が高い欧州沿岸を通過する必要があり、 潜水艦のリスクも高く、指揮のみに徹するのではなくいざとなれば積極的な攻勢に出ることも前提としているためである。 また、長距離航海をする必要性は日本以上にあり、指揮下に入る輸送船団に関しても日本よりも大きく増大することが予測された。 そのため、司令部施設と船室の拡大に加え、シャワー室や船室における冷暖房の完備、さらに食料庫の拡大が必須となり、 それらが合わさって大幅な排水量の拡大につながった。 最大の差異として交代で船団の指揮とその補助を行う『ズスタール・コンベアージ』というシステムがある。 これは、長距離航海を行いながら多くの船団を管理するという、非常に船員に負担をかける仕事を楽にするべく編み出されたものである。 エンゲルスマンプラート級は常に1隻+後述のワール級護衛巡洋艦1隻のユニットを編成してする。これを 『ズスタール』と呼ぶ。 この『ズスタール』を一定以上の規模を持つ輸送船団では最低でも1組用意し、2隻の護衛指揮巡洋艦が交代で『主管制』『補助管制』 の状態にいることで常に隙のない管制を行い続けている。即ち、シフト制を布いて休息の時間をより多く確保し、過酷な 勤務とならないようにしている。このシステムのために戦術データリンクの一環としてLeonie・Onderneming社や 日立製作所などと合同で制作した最新のコンピューターを搭載し、護衛の艦艇と輸送船あわせて250隻以上の船団を同時に 管制することを可能とした。 966 :弥次郎:2016/02/06(土) 21 52 52 兵装: 主に国産の主砲・高角砲・機銃を採用している。 概ね大淀型と類似した配置であり、後部に大型の格納庫とカタパルトを搭載しているのも同様である。 しかし、大淀型と異なり個別艦ごとの戦闘力、とくに潜水艦に対する兵装は増加している。 また、広い外洋を監視する都合上対潜ヘリコプターよりも水上機が重宝され、後期型でもカタパルトは維持されたままであった。 後期型エンゲルスマンプラート級 通称リヘル級においては艦対空ミサイルやレーダーの更新が行われた。 戦中: 各植民地と本国を結ぶ航路において輸送船団の護衛及び指揮に努めた。 開戦時には12隻が就役済みで、ケープ及びギニア奪還の前後には設計をある程度改良した後期型エンゲルスマンプラート級が 新たな竣工・就役し、より危険度の高いギニア及びバミューダ諸島への輸送作戦に従事した。 本艦の奮闘もあり、通商破壊による被害は極めて低く抑えられ、順調な戦略の実行に貢献した。 またドイツ海軍は本艦の設計を一部流用して大型甲巡『ヴァイセンブルク』級を2隻建造。通商破壊に投入している。 戦後: 終戦時には建造された全艦が落伍することなく揃った状態であった。 輸送作戦時に潜水艦の雷撃や航空攻撃を受けた艦はあったが、頑丈な設計がモノを言ったのか重度の損害を 受けることはなかったためである。 戦後、大型の船体を持つ本艦は大戦時に大型艦を損失したドイツ・イタリアなどにとっては垂涎の的であり、売却を打診。 これをオランダが了承し、規格が共通ではない主砲や電探などを取り払い売却した。 オランダ海軍に残ったのが12隻であったが、大淀型同様にミサイル及びヘリコプターの搭載がすすめられ、次世代間の 誕生までのつなぎとして各地で働き、その後OCU傘下の国へと売却された。 967 :弥次郎:2016/02/06(土) 21 53 57 ワール級護衛巡洋艦 性能諸元 全長:188.2m 全幅:17.8m 排水量(公試):14718t 推進:4軸 建造予定数:38隻 建造数:30隻 命名基準:オランダ領内の河川 兵装: Maximiliaans 152mm連装両用砲 3基6門 Maximiliaans 57㎜単装両用砲 4基 Bofors 40㎜2連装機関砲 5基10門 Oerlikon 20mm対空機銃 10丁 O M 20mm連装対空機銃 10基20門(片舷指向5基10門) O M 20mm3連装対空機銃 4基12門 M K SAAB Mark4-2 5連装対潜迫撃砲『blauw zonnebloem』 4基 M K SAAB/40 360mm3連装対潜ロケットランチャー『gentiaan』 2基 (blauw zonnebloemから一部換装した例あり) M K SAAB/43 Mark3 360mm8連装対潜ロケットランチャー『gerbera』2基 (改装時に搭載) 搭載機: 水上偵察機 M K SAAB-11 eend ×4機(補用2機) 対潜哨戒ヘリ M K SAAB-H21 reiger ×2 その他 カタパルト クレーン 概要: エンゲルスマンプラート級の簡易量産型。 第二次大戦時にオランダ海軍及びこれの供与を受けたOCU加盟国が運用し、戦後においてもミサイル巡洋艦やヘリコプター巡洋艦 として働いた隠れたワークホース。 968 :弥次郎:2016/02/06(土) 21 54 47 設計: 本艦は大型でコストのかかるエンゲルスマンプラート級の簡易量産型として設計がなされた。 しかし、1万tを超える大型艦でありこれを只護衛の為だけに使うというのがあまりにも惜しいとの意見が出ていた。 オランダの国家体制上、また国家防衛上航続距離だけでなく多くの任務を軍艦1隻に求める傾向にあった。 というのも、制海権を一時的にでも握られた場合には、本国と各植民地はそれぞれ単独で戦力を再編して対応する必要があり、 役割を固定し過ぎた場合、その配置状況によっては何らかの支障をきたすためである。 そこで着目されたのが日本の黒部型巡洋艦である。簡易な改装で多種多様な任務に適応できる設計はその防衛上の要求に応え得る ポテンシャルを備えており、オランダ海軍のドクトリンにも合致した。 そこで、あくまでエンゲルスマンプラート級の簡易型ありながらも、既存の巡洋艦の設計を踏襲した本艦が建造された。 主なエンゲルスマンプラート級からの設計の変更点は 格納庫の縮小 機銃の若干の削減 船体の縮小と構造の簡略化 の3点で、武装の搭載スペースや余剰の排水量を十分に残している。 運用: 単独での指揮能力は若干劣るものの、小規模乃至中規模の輸送船団を率いるにはちょうど良い設備を備える。 また、大規模な輸送船団の管制時にはエンゲルスマンプラート級と合同で管制を担当した。 後方での任務が多かったが、後述のように簡易な改装で多目的に使えるため、対潜哨戒・護衛・レーダーピケット・ 対地砲撃・潜水母艦・機雷敷設・輸送艦などなど、ある種の雑務艦として働いた。 また、戦前に本艦もドイツ海軍から4隻の発注を受けて建造され軽巡洋艦「プリンツ・アイテル・フリードリヒ」級として ドイツ海軍にて就役。フランスおよびイギリスとの海戦に投入された。 以下プリンツ・アイテル・フリードリヒ級名称 一番艦:プリンツ・アイテル・フリードリヒ 二番艦:ヴァシレウス・ゲオルギオス 三番艦:マクデブルク 四番艦:ロストック 戦後: 大戦中に戦没ないし戦闘で被害を受け破棄されたのは4隻で、そのほかに大きな損傷を受けた艦が少なく、設計も優秀で あったことからこちらもエンゲルスマンプラート級同様にOCU加盟国や親OCU国へと売却された。エンゲルスマンプラート級と 異なり簡易な改装ですぐに実践に投入可能な本艦は、特に海軍の運用経験の少ない国に重宝され、北欧や東南アジア諸国で 余生を過ごした。また、この艦をベースに各国では戦後の主力巡洋艦が設計されている。
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714 :ひゅうが:2014/09/20(土) 22 03 03 ―――「波号第200」型潜水艦 全長:61.0m 全幅:4.2m 喫水:3.44m 機関:中速ディーゼル1基 特E型電動機(モーター)2基直列1軸 一号33型蓄電池370個 排水量:水上450トン 水中590トン 速力:水上10.5ノット 水中21.2ノット(実用19ノット程度) 航続距離:10ノットで4000海里(水上) 3ノットで180海里(水中) 武装:530ミリ魚雷発射管3門(魚雷最大8発搭載) 13ミリ単装機関銃1門(三式 ブローニングM2のコピー) 同型艦:波200~波257(終戦時までに就役済の艦のみ)以下40隻建造・艤装中、40隻余起工済み。 【解説】―――日本海軍が近海防衛用に量産した小型潜水艦。 1943年のマル追計画において中型潜水艦のかわりに量産が決定し、海軍水雷学校付へと「自主降格」した阿部俊雄大佐らの主導によって日本海軍初の「水中高速潜水艦」として建造された。 就役時である1944年末においては、アイデアを提供したドイツにおいてもXXI型潜水艦もトラブルに悩まされており事実上枢軸国側唯一の水中高速潜水艦となった。 戦場が日本本土近海となったために単独で沖縄から小笠原方面へ作戦して帰還できる能力を有する本艦は、連合艦隊唯一の「攻撃的作戦艦艇」として輸送船団襲撃や「落ち武者狩り」に猛威を振るうことになった。 【原案】―――日本海軍が水中高速潜水艦の建造を思い立ったのは意外かもしれないが戦前であった。 1938年に就役した第71号艦と称される潜水艦は、水中速度を実に21.3ノットとした画期的な潜水艦として各種実験に供されていた。 しかし、当時の漸減邀撃作戦に見合わぬ短い航続距離からその後のタイプシップとはならずにむなしく時が過ぎる。 これが一気に注目されるのは、大西洋におけるUボートの活躍が伝えられる1940年代。 そして日本海軍にとって衝撃的であった砲塔運搬船「樫野」の撃沈という事件がきっかけとなる。 大和型戦艦の主砲塔を輸送可能であった唯一の艦であった本艦の喪失は、水面下でくすぶっていた3番艦信濃の再戦艦化案を叩き潰す結果となり、また十分な護衛をつけていたはずの本艦の喪失は日本海軍に対潜戦術の不備という現実をつきつけた。 そしてそれを声高に唱えたのが、当時対潜戦の専門家として積極的に論文を発表しつつあった第11駆逐隊司令 阿部俊雄大佐(当時)だった。 結果として彼の助言によって水中聴音器の改善や、対潜戦の強化が1942年後半より順次実施されはじめることになる。 この結果、彼は半ば厄介払いのように南方へ転出するが、彼の声に勇気づけられたかのように現場からは連合軍潜水艦の脅威が報告として入り続けることになる。 この間、艦政本部においては建造されていた甲標的拡大型と並行しての水中高速潜水艦の設計が進行。 その小型版となったのが波200型である。 また、外洋で実施されていた潜水艦作戦において被害が続発していたことも「新型潜水艦」を求める動きと重なった。 そのため計画は、潜水艦隊の肝いりで進行していたという。 この動きは、第2次ソロモン海戦において帰途に被雷し負傷の傷を深めた栗田健男中将が軍令部へと入ると急速に現実化。 1943年に策定されたマル追計画において、駆逐艦隊や護衛艦の強化に加えて、高性能な潜水艦の大量建造が決定した。 これは、当時実施されていた戦線縮小「転進」と、それに伴い予想されたマリアナ諸島や小笠原・沖縄、あるいは根拠地から比較的至近の海域における邀撃戦での使用を想定されたためである。 これに伴い、本土へと帰投していた阿部大佐と木梨鷹一中佐、根木雄一郎技術中佐、江見哲四郎大佐(阿部をのぞきすべてがドイツからの帰還組)らがプロジェクトチームを結成。 半年以内の戦力化を目標として泉州工場での量産体制に入った。 この結果、1944年5月に1番艦波200が起工。 簡易化された設計に加えUボートの量産技術を全面導入したことによりこの時期の護衛駆逐艦群や輸送船団と同様に平均3か月での建造を実現した。 1945年1月までに初期ロットとなる28隻が配備。 沖縄沖海戦時には、実に46隻が作戦に参加している。 715 :ひゅうが:2014/09/20(土) 22 03 36 【設計】―――構想段階では涙滴型の船体が構想されていたが、技術的困難から断念。 従来の単郭型船体を流線型とし、徹底して抵抗を排除し大出力電動機を搭載することで水中高速性能を実現した。 計画段階では300トン案や700トン案もあった。 だが300トン案は打撃能力や航続距離が微妙であり水中速力もそれほど高くはならないために断念。 700トン案は量産性のわりには攻撃力が微妙であり、航続力的に過剰性能と判断されたことにより放棄された。(この発展型が仮称艦名伊201型である) 船体はドイツから技術導入し、譲渡潜水艦呂501によってもたらされた高張力鋼St52の全面溶接によって構成。 各所に呂501と同様の防音防震構造を採用していたが、当初計画されていたギア歯車は計画されていた水準より著しく騒音が大きいことが判明。 電動機の片方ずつを魚雷型の二重反転スクリューに直結する第71号と同様の構造をとることで対応した。 これにより機械室の容量を削減し、航続力の低下を補い居住性能を向上させている。 また、現場潜水艦隊からの主張を容れて表面にゴム被膜を、艦内各部に防音ゴムが使用されている。 これらの結果、機械的な無理が極力省かれたことによって安全潜航深度こそ他の艦同様の120メートルほどであったが、実際はその5割増し程度までは潜航できたという。 武装は、魚雷発射管を3門いずれも艦首に装備し、2.5斉射分の8発を確保。 水上武装は航空用に制式化されながらも紫電改などの配備によって比較的余剰となっていたブローニングM2のコピー品三式13ミリ機関銃とした。 セイルは戦後の潜水艦と同様のフィン型で、ドイツから導入したシュノーケルを装備。 これにレーダーを用いてもきわめて発見しにくくなっている。 また、この頃採用された95式改四型53センチ魚雷は走行距離を削減するかわりに炸薬量を1.5倍とし、海軍が44年中に諜報情報より実用化した四式炸薬(英国におけるTOPEX)を採用したことからその威力は従来の8割増しにもなっている。 (ただし、量産が間に合わずに炸薬量だけを増大させたものも多く実戦に投入されている) 【配備と戦歴】―――1944年10月に第6艦隊に1番艦が配備されたが、時期的にはレイテ沖海戦に間に合わなかった。 しかし、12月末までに15隻が配備され実戦投入が可能となり、1月には28隻が急速に配備された。 これらは、いずれも呉軍港周辺の大津野島を訓練基地とし、訓練完了後には宿毛湾基地や佐伯湾基地を拠点として南西諸島やマリアナ諸島前面での哨戒活動に従事。 輸送用として先行量産されていた波100型輸送潜水艦とともに、大戦末期の日本海軍潜水艦隊の主力をなした。 本級が威力を発揮したのは、レイテ沖海戦後にこちらは陥落し、急速に基地化が進行していたマリアナ諸島近海での輸送船団破壊作戦であった。 特に1945年1月3日には、1個輸送船団20隻あまりが群狼と化した第6艦隊第12潜水隊によって消滅。 以後、1週間に5隻以上のペースで終戦まで輸送船と護衛艦艇を狩出していくことになった。 そして、最後にして最大の機会となったのは、3月末から5月にかけての1か月半あまりである。 日本近海である沖縄諸島沖に展開した本型は実に46隻。 戦没艦をのぞけばそのほぼすべてが、輸送船団攻撃と、沖縄周辺での航空攻撃により落伍しウルシー環礁へと下がる艦への通称「落ち武者狩り」に投入されたことにより米軍を恐怖のどん底へと突き落とした。 終戦までに失われた本型は13隻ほどであるが、その10倍以上の艦を撃沈あるいは撃破している。(これは米国が量産したリバティ船や護衛艦艇がその無理な工期から非常に撃たれ弱かったこと、そして大西洋ほどの護衛艦艇を配備できなかったためである。) 排水量あたりの戦果となると実に100倍を超える。 この攻撃により、沖縄本島方面における米陸海軍の作戦は停滞。 終戦時には、ウルシー奇襲攻撃の成果もあって米海軍は深刻な修理補給能力不足に陥っていた。 このため、沖縄沖海戦前哨戦において深刻な損害を受けた空母9隻のうち、終戦後に現役を続けた艦は2隻ほどとなる。 また、大破した戦艦ウィスコンシンが帰途に雷撃を受けて沈没する理由となったのも、本型による攻撃を警戒してハワイまでの最短ルートをとり日本本土から離れようとしたためであった。 716 :ひゅうが:2014/09/20(土) 22 09 38 【付記】―――本型は、終戦後にいわゆる「吉田機関」の分科会であった「Y委員会」において検討された新海軍計画の目玉となるもので、30隻あまりが大湊などに対ソ戦のために配備されると原案には記されていた。 だが、米本国はこの計画に反発し、旧海軍艦艇としては国防海軍への復帰がもっとも遅れることとなった。 したがって、朝鮮戦争時には本型は海上警備隊や国防海軍艦としては参加していない。 ただし、アメリカ極東海軍の指揮下で何隻かが運用されていたことは確かなようである。